ここ最近読んでいた本で、ものすごく納得したことがあります。
どの本だったか不覚にも失念してしまいました。
もしかしたら、複数の似たような情報源をタイミングよく目に触れることができたのかも。
年齢を重ねるにつれて、一年が早くなっていきますね。
結論を言うと、子供のときよりも感動が不足しているからでした。
10歳の一年と50歳の一年では人生の割合が違う
一年を感じる感覚が子供と大人で違う理由として、まずあげられますね。
今まで過ごしてきた人生に対して一年の比率が違うということ。
だから子供にとっての一年は、とても長いけれど、大人にとっての一年は短い。
10歳にとっての一年は10分の1。
50歳にとっての一年は50分の1。
人生で10分の1を費やしていた一年が、50歳だとたいした時間の量ではなくなる。
時間的感覚の差。
これはこれで正しいと思います。
子供に比べて感動が少ない大人は一年が早い
一年単位や、それ以上の長い単位で比べた場合、たしかに大人が感じる時間の流れは早いものです。
ただし、もっと短い単位に注目していくと、それに矛盾してくるんですね。
子供は一日がものすごく短く感じるけれど、一年経つのがものすごく遅い。
それに対して、
大人は一日がものすごく長く感じるけれど、一年経つのがものすごく早い。
ならば、一日24時間だって似たように、大人のほうが早く過ぎるさるのではないかと思うけれど、現実はそうでもない。
その理由は、感動するの量の差でした。
ほとんど毎日おなじ経験を重ねている日々だと、脳も慣れてしまい退屈と判断してしまいます。
よって、退屈な時間は長く感じる。
しかし、1日単位でみると新たな感動の記憶が刻まれるわけでもない。
変化が無く、振り返ってみると、あっというまに一年が過ぎ去ってしまうのです。
子供の場合は、毎日が新鮮な経験で感動の連続。
面白いことに集中して一日がすぐに過ぎ去ってしまう。
全力で体を動かしたので、ぐっすりと眠りにつけるし、睡眠が取れる。
睡眠を取るなんて表現は言えないかもしれません。
子供の頃を覚えているでしょうか?
「おやすみなさい」と目を閉じた瞬間、目を再び開けると朝日がさしていたことを。
ただの「まばたき」だったでしたよ。(笑)
あの頃は、確実に自分のからだが未来へ向けてのタイムマシンでした。
そんな感動がいくつも刻まれた子供の一年はものすごく長く感じるのです。
大人にとっては、「あれ?この前、正月だったけど、もうクリスマス?」だとしても、
子供にとっては、「いつまで経ってもクリスマスが近づかない。早く来てほしいのになあ」なのです。
大人だって一年を長くできる
悲観してばかりもいられませんね。
原因がわかれば対策をとれば良いだけですから。
シンプルな問題です。
要するに大人も感動を増やせば良いってことなんですから。
毎日、なにかしら新たな経験を積極的におこなっていけばよいんです。
小さなことでも充分。
むしろ小さなこと、スモールステップで良いと考えます。
記憶に残るのは成功よりも失敗。
だけど、大きな失敗は人生の糧になるとはいえ、やはりダメージが大きい。
しかし、小さな失敗ならば容易で受け入れられます。
しかも、きちんと経験として蓄積していくことができます。
積極的に新たな感動を求めて、新たな経験をしていく。
常にそれを意識して、短い一日かつ長い人生を送りたいものです。