出雲王朝は主王・副王による政治システムが行われていた?

『出雲と大和のあけぼの』(斎木雲州著、大元出版)を読んでの出雲王朝歴代国主に関してのメモ的内容になります。
これを知っていると、人物が混在する古代のイズモ考察において背景が見えてくると思います。

古代日本の歴史書といえば、古事記、日本書紀ですが、あくまで勝ち側のヤマト族系の伝記。
勝者側の神話と事実を組み合わせたのは疑いないことであるでしょう。
この『出雲と大和のあけぼの』は負け側のイズモ族系の伝聞をまとめたところが大変興味を惹かれました。


イズモ族は2つの王家がありました。

東の向(むかい)家と西の神門臣(かんどのおみ)家です。

そして、役職が主王「大穴持(オオナモチ)」副王「少名彦(スクナビコ)」になります。
大已貴命やら少彦名やらで登場するのを他の書でみかけますが、個人の名前ではなく役職名だったということですね。
役職名だけど太閤といえば秀吉、大御所といえば家康と言ったように結びつく感じでしょう。

2つの王家は主王副王が交代制でした。

そしてこの向家と神門臣家から交代で主王副王を出し合っていたようです。
ここが、現代の我々が混乱する原因であると考えます。
向家と神門臣家で別々の家の出身で親子関係がないにもかかわらず、歴代の順番がつながった人物が親子認定されてしまう場合です。


本の巻末に歴代のイズモ国主オオナモチの系図が記載されていますが、わかりやすく表にしてみました。

就任順番向家出身者神門臣家出身者
菅之八耳[八箇耳] 
 八島士之身[八嶋篠]
只八島士之身[八嶋手] 
 布葉之文字巧為
深渕之水遣花 
 臣津野(国引主)
天之冬衣 
 八千矛(大国主)
鳥鳴海(事代主長男) 
10国押富 
11 速瓮之建沢谷地之身
12 瓮主彦
13田干岸円味 
14 身櫓浪
15布忍富取成身 
16簸張大科戸箕 
17 遠津山崎帯
 (弩美宿祢) 

※[ ]内は日本書紀の表記名
※ 9-10代目、11-12代目のときは、連続で同じ王家から主王が出ています。

表の8代目にあたる国主・八千矛がよく名が知られているオオクニヌシです。
そして9代目の鳥鳴海コトシロヌシの長男。
つまり鳥鳴海の父の八重波津身(やえなみつみ)が、オオクニヌシが8代目主王だった時の8代目副王コトシロヌシということです。


現在の主流の伝聞では、オオクニヌシコトシロヌシが親子として伝えられているのが多数ですが、この表で見る限りは同時代の主王と副王だったということですね。

ちなみに国引き神話で有名な人物は表だと6代目主王の臣津野になります。


再度まとめると、
8代目主王オオナモチの本名が八千矛(神門臣家)で、記紀ではオオクニヌシと呼ばれている人物。
8代目副王スクナビコの本名が八重波津身(向家)で、記紀ではコトシロヌシと呼ばれている人物になります。

このイズモ族の2王家交代制。
親子関係がごっちゃになって伝聞して、現在の我々が混乱してしまったのがわかる気がします。

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