少なくとも日本人が自殺を避けるべき理由

こんにちは、ひろつそです。

自殺がらみで悲しい事件が報道されると、いろいろと考えさせられます。

以前、私なりに考えた自殺をしてはいけない理由について、過去の別のブログで記述したことがあるのですが、改めてここで投稿したいと思います。

日本人は「いただきます」という契約をつねに確認している。

結論を言うと、食事前の挨拶の言葉「いただきます」に責任をもって毎日を生きましょうということです。

もちろん、人それぞれに抱えている問題があります。悩みの真のつらさは、悩んでいる本人にしか分からないでしょう。

でも、日本語には「いただきます」という言葉があるのも思い出してほしいのです。

そして、それは日々、日本人なら口に出していることです。

必ず、自主的に言ったことがあるはずです。

あらゆるものに感謝する「いただきます」

食事を前にしての「いただきます」にはいろいろな意味の感謝が含まれていることでしょう。

料理を作ってくれた人に。材料を用意してくれた人に。運んでくれた、売ってくれた、買ってくれた人たちに。

それは食材関連だけではありません。

食卓や椅子、皿や箸の食器類。これらが欠けていても、まともな食事ができません。

さまざまな人達のおかげで、食事を行なうことができるわけです。

以前、学校の給食で給食費を払っているのだから、子供が「いただきます」を強制される筋合いはないという一部の親の意見が、話題になった記憶があります。

それはあくまで、払ったお金の対価として給食を得ることができたという問題にすぎないのです。

その単純な取引に対してのみ「いただきます」を発しているわけではないのです。

命をいただいている感謝

いろいろなことのお陰で食事に感謝できるのですが、そのなかでも最も重要だと思える感謝は、

「私の命の継続のために、あなたの命をいただきます」

という自分のために食材になってくれた命への感謝だと思います。

そして、それを日本人は確認しているわけです。

自分が生きるために、他の命をいただいたことを。

そして、それに責任をもったことを。

それが「いただきます」という言葉の挨拶なのです。

さきほども述べましたが、自主的に言っているはずです。

今までの人生で言ってきた「いただきます」が、全て強制的に言わされたものである人などいないでしょう。

そうであるから、なんとしても自分たちは生き続けなければならないのです。

日本人は毎日約束をしている

今までの人生で何回、その宣言をしたことでしょう。

一日3回だとして、それが一年でも余裕で1000回以上の数になります。

そして、物心ついた時から、今まで言った分を数えると、数千回は余裕で唱えてきているのではないでしょうか。

それほど、日本人は自分のために犠牲になった命に、約束しているわけです。

歳をとるとともに、その約束も回数を重ねて重くのしかかってくるのです。

少なくとも安易に破ることはできないと、決心すべきでしょう。

少なくとも自分の口から発した言葉なのですから。それも、何千何万回も。

日本は言霊の幸わう国と言われています。

言葉の力が幸せをもたらすのです。

そうであるなら、日本人にとって食事を始める瞬間は、まさしく幸せを確認できる素晴らしい機会となります。

そして、自分のために犠牲になった命に感謝し、幸せに生き続ける決心を改めて確認できるときなのです。

「いただきます」という言霊を発したことにより、幸せに生きる義務が積み重なっていきます。

感謝するとともに、約束したのですから。

生きる権利ではなく、生きる義務です。

せっかく日本人に与えられたその義務を放棄するなんて、もったいない。

せめて食事を行なう、「いただきます」のその時は、それを意識していくべき。

私はそう考えています。

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