雑記

名称、祝詞などの呼び方にこだわらなくてよいのではないか。

投稿日:2018年9月3日 更新日:

祝詞をあげるときに、ずっと気になってきたことがひとつ。

いろいろ呼び方が出てくるけれど、いったいどれが正しいのということ。

たとえば、「高天原」。
そもそもがタカマノハラなのか、助詞の変化でタカマガハラなのか。
いやいや、マガじゃ禍々しいに通じて悪い音になるから、タカアマハラが正しいんだよ、とか。

私の結論は、「どれも正しい」。
もう少し正確にいうと、どれが正しい音かにこだわることが時間のムダで、その音を発したことにより効果がより高く望めるかは、人それぞれではないかと。

あるひとにとって、タカマノハラがしっくり来ることもあれば、他のひとにとってはタカマガハラがしっくり来ることがあると思う。
人それぞれ違っているのだから、自分にあった音というもの人それぞれ。
根拠は何を持ってきても良いと思う。

たまたまその発音で習ったとか、日頃から気づいたらその発音になっていたとか。

そして言葉も生きているのだから、使う人によって変化していくもの。
不動の存在なんてものは、極論をいうと時間も止まっているのだから、存在していないと一緒。
言葉も同じだと思うのです。

重要なのは、おのれの心身を磨く目的において、プラスとなる音であるかどうか。
わざわざ自分でもネガティブだと認識できる言葉を発することでもしないかぎり、自分にあったポジティブと信じる言葉は自分の手助けをしてくれます。

 

ゑまき336




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