怒りよりも恐ろしいのが嫉妬@『妬まない生き方』

図書館のなかを歩いていて、ふと目について借りるジャンルのひとつに、仏教モノがあります。
そのなかでも定期的に借りているのがアルボムッレ・スマナサーラ氏の著書。

なんとかいうか、簡素な言葉で解りやすい。
そして、読みたくなるときは、自分の心も揺らいでいるときが多い。

基本的に、いつも揺らいではいるんだけれど、とくに最近はすぐ怒りっぽくなっているなと意識している証拠かもしれない。

今回読んだのは『妬まない生き方』(アルボムッレ・スマナサーラ、河出書房新社)

嫉妬というのは怒り以上に恐ろしいもの。
より気づきにくいこともあって、知らないうちに心身にダメージを蓄積してしまうとのこと。

まずすべきことは、自分が「嫉妬している」と気付き、それを認めることのようです。

これは仏教における基本なのでしょう。
お釈迦様は第一の矢は受けるのは避けられないが、重要なのはいかに第二の矢は避けることだといった内容を主張してたようですし。

明らかな攻撃を受けた場合は、第一の矢は解りやすいです。
実際に痛みを感じるから。
心だろうが、体だろうが。

問題は、それをどう受け止めるか、または流すか。

怒りの元を与えられると、ムッとする場合がある。
でも、これは自分が怒りに反応しているという解りやすいサインですね。

 

それに対して嫉妬はわかりにくい。
いや、自分が嫉妬だと認識できないかぎり、わからない。
それがわかりやすい怒りの反応に対して、嫉妬の反応がより恐ろしいということになります。

著者は、嫉妬には喜び(ムディター)の実践で対応できると述べています。
他者の幸せを喜ぶことを習慣として目指しなさいと言っています。

嫉妬というのは、クセとなると更に悪循環となります。
自分の劣っている部分に、不幸を感じてしまうのです。

逆に、他人の幸せに喜びを感じることがクセとなれば、嫉妬から離れられることになります。

そうは言っても、やはり難しいものは難しい。

やはり心の訓練が必要になるんでしょうね。
毎日、意識して喜びの実践。

 

健康になりたい、筋肉を付けたい、運動能力を高めたいと考えている人は、毎日訓練しようとします。
心も同じなのでしょうが、体と違って鍛えなくても変われると思ってしまう。
体を鍛えるのと違い、ついほったらかしにしてしまいがち。
そして、自分の心の乱れを毎日悲観してしまうわけです。

まずは、嫉妬していると認めることを第一歩として、喜びを見られるように努力したい。