大相撲、仕切りが集中のための儀式でデフォルトなのが良いよね

2018年名古屋場所の大相撲は関脇・御嶽海が13勝2敗で優勝しました。
最終的に3横綱や新大関・栃ノ心が休場という大波乱。
いかにケガを回避するか、時運を手繰り寄せるかも重要な要素であります。
その点で御嶽海が優れていた結果としての今場所の初優勝!
おめでとうございます。^^

スポーツ選手がゾーンと言われる集中状態に己を持っていくために、それぞれ工夫しているところはよく語られます。
イチローであれば、日々のトレーニングからはじまり、打席という本番で、ユニフォームの袖を手繰り寄せてバットを前方へ構えるのが有名でしょう。
ラグビーでは、ニュージーランドのチームがマオリ族のハカという民族舞踏を試合開始直前に披露し、テンションを上げますね。

神道好きの私としては、大相撲はどちらかといえばスポーツ競技というよりは神への奉納という儀式寄り。
ですが、あらためてスポーツの枠として捉えた場合、大相撲は一連のやり取りのなかで、その集中力を高める動作がデフォルトとして決められているのが面白い。

土俵に上がったあとの蹲踞からの柏手を打つ塵手水の仕草。
塩を撒く動作や仕切り。

もちろん琴奨菊の背中そらしや高見盛のロボット動作など、個性的な動きが付与され、その部分だけが目立ってしまうこともあります。
しかし仕切りという大枠で捉えると、全ての力士の一連の所作がゾーンへと集中力を高める段階を経ています。

この手の儀式は、ただ上っ面でやっても意味のない時間の浪費になってしまうので、常にその一刻を己の心身を高める方向へ持っていくかが大切ですね。
自分の場合は、早朝、目覚めたときに祝詞を上げる習慣があるのですが、このときに「とりあえず」といういい加減な気持ちが入り込むのに対し注意が必要です。

相撲なら適当な仕切りをしてしまうと、勝ち負けという結果に直結してわかりやすい。
逆に日常ではっきりとした判断結果が分かりづらい場合は、いい加減な「とりあえず」の気持ちが影響したダメージを認識しづらいものです。

日々の習慣化した動作において、それがきちんと意味のある儀式として自分の糧に成るのかを忘れないように常に意識したいものです。