開拓使時代の琴似屯田兵村家屋@琴似神社

西区琴似神社境内に保存されている北海道指定有形文化財琴似屯田兵屋です。
境内右奥に入り口があります。
実は何度も琴似神社の前を通ったり境内に入ったことはあるのに、ここを見るのは初めてでした。

神社の目の前の琴似本通に、しっかりと案内標識があるのですが、奥まできちんと見ていなかった。

そして実はもうひとつ、屯田兵屋が見られる場所が地下鉄琴似駅近くにあります。
当時の第133番兵屋が建っていた同じ場所。
そっちも琴似を通り過ぎるとき、メインの道から外れているから見に行ったことはないんだよなあ。
早めに行くとしましょう。(追記:行ってきました↓)

 

当時の番号140番地にあった兵屋で佐藤喜一郎氏が居住していました。
開拓当初の琴似神社の場所は、当時の士族授産所跡地ですので、この兵屋は移築されたものです。
明治7年に建築されたもので、8畳と4畳半、居間兼台所部分と土間のつくりで結構しっかりしてたんですね。

梁がむき出しだったんですね。
屯田兵屋は当時の一般の家屋に比べると恵まれていたほうだったと資料にありますが、それでもこの造りだと冬は厳しかったのが想像できます。

資料としてパンフレット置いてありますので、ありがたい。
当時の状況説明がくわしく載っていました。

家具や道具は支給されていたようですが、補助を受けるのは入地後三年間のみ。
ただし、琴似兵村の場合は途中に西南の役で駆り出されたので四年間に延長されたようです。

写真のなかで今でも自分が使っている道具類は、七輪・のこぎり・クワぐらいかな。

これは馬具類。
開拓時のもっとも頼りになっただろう馬の道具は必要不可欠ですね。
重機が無い時代だから、なおさら。

暖房さえしっかりしていれば、個人的には暮らしてみたい広さだ。
家族でとなると、さすがに狭いけれど。

現代では逆にある意味リッチなステイタスになってしまった囲炉裏。

琴似神社は授産所跡。
琴似本通りを挟んで反対側は中隊本部跡。
それぞれの記念石碑も固まって設置されているのですが、ここでは兵屋横の馬頭観音碑を紹介。
(ほかを見るのに時間が取れなかったという言い訳をしてみる。(汗))

人と一緒に頑張ってくれた馬たちですからね。
そこらじゅうに残っているのは感謝の気持ちの現れでもあるのでしょう。

馬頭観音碑にならんで小祠もありました。
左は「鳥海山」と記されていますね。

「馬頭観世音」碑、「飛馬頭神社」碑、「馬頭大神」碑。
「飛馬頭神社」碑は狛犬まで配置されていています。

小さくて見落としがちになりますが、「馬頭大神」碑。

 

 

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